賽銭にはどんな意味が込められている?

神社の賽銭箱に静かにお賽銭を差し入れる手元 神社とお寺

こんにちは、じんさんです。

神社やお寺にお参りするとき、ついつい無意識に賽銭箱へ小銭を投げ込んでしまいますよね。 でもね、じんさん、いつも思うんです。 「そのお賽銭に、どんな気持ちを込めてるの?」って。

今日は、お賽銭に込められた意味と、その作法について、 昔の知恵をひもときながら、いっしょに考えてみましょう。


お賽銭は「お願い」じゃなくて「ありがとう」だった!

「お賽銭」って言葉、よく耳にするけど… 実はこの「賽(さい)」という字、願いごとが叶ったあとの“お礼”を意味してるんですよ。

つまり、本来のお賽銭って、お願いするために入れるんじゃなくて、 「このたびはありがとうございました」という、感謝の気持ちを伝えるためのものだったんですな。

最近は何でも“お願い先行”な時代ですが、 昔の人は、「まず感謝、そしてお願い」という順番を大事にしていたんですねぇ。


「初穂」から「散銭」へ――お賽銭のルーツをたどる

さてさて、さらに遡ると、賽銭の前にあったのが「初穂(はつほ)」という習慣です。

これはね、秋の収穫や海の幸、山の恵みなど、自然の恵みを最初に神さまにお供えするというもの。 「今年も無事に実りました。ありがとうございます」という心がこもっていました。

その後、貨幣が世に出まわるようになると、米や魚のかわりにお金をお供えするようになって、 15世紀ごろには「散銭(さんせん)」――金銭を“まく”ように捧げる習慣が広がっていきます。

当時は「お願いするための対価」というより、 「ありがたや~」という、心からの感謝の表れだったんですね。


「投げ入れる」って、本当に正しいの?

ところで、皆さん、賽銭箱にカラン!と音を立てて小銭を投げること、ありませんか?

じんさん、ちょっと気になっちゃうんです。 というのも、この「投げ入れる」って行為、実は散銭の名残ではあるけれど、 神さま仏さまに対する作法としては、あまりよろしくないとも思うんですよ。

感謝の気持ちって、投げるものではなく、そっと差し出すものですよね。 とくに、静かなお参りのときには、ぜひそっと、お財布から丁寧に差し入れてみてください。

年始のような混雑時には仕方ないとしても、 心静かに手を合わせる場面では、心も行為も静かでありたいものです。


金額にも意味がある?「五円=ご縁」のお話

さてさて、お賽銭といえば、 「五円玉を入れるとご縁がある」なんて話、よく聞きますよね。

これはいわゆる語呂合わせの縁起かつぎ。 「15円=十分なご縁」「25円=二重にご縁」「41円=始終いい縁」なんてのもありますな。

もちろん、金額が多ければご利益があるってものではありません。 でもね、ちょっとした言葉遊びに、感謝や願いを込めてお金を入れるのも、また日本人らしいこころです。


そもそも、なぜ私たちはお金を捧げるのか?

考えてみれば、不思議ですよね。 どうして私たちは、神仏にお金を差し出すのでしょう?

それはたぶん――お金が「努力の証」であり、「生きる力の象徴」だからだと思うんです。

昔は、稼ぐっていうより、「いただいた命の恵みを分ける」って感覚でした。 その考えが今に続いて、お金という形に変わって残ってるんですね。

「わたしは、こうして無事に暮らしています。ありがとうございます」 そんな気持ちを、お賽銭に託す。それが日本人の“和ごころ”ってもんじゃありませんか。

では、実際にお賽銭が1円しかないときはどうすればよいのでしょう?
心の込め方や対応の仕方については、こちらの記事で詳しく解説しています。」
👉【お賽銭1円玉しかない!失礼ですか?】


まとめ|お賽銭には、今を生きる私たちの「祈り」と「感謝」がこもっている

お賽銭は、単なる小銭ではありません。 そこには、願いが叶いますように、という祈り そして、今こうして元気に生きていられることへの感謝が込められているのです。

今度お参りするときは、ぜひそっと手を合わせて、小銭に心をのせて差し入れてみてください。 きっと、その一瞬が、あなたの心を豊かにしてくれるはずです。


じんさんのひとこと

じんさんね、昔はポケットにジャラジャラ小銭を入れておいて、 「よし、お願いごと3つだから15円!」なんてやってたもんです。

でも今は、金額にはこだわらず、そっと静かに差し入れるようにしてます。 お願いより先に、「ありがとう」。それがいちばんのご縁づくりかもしれませんな。

次は、「お賽銭1円でもいいの?」って話です。

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